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関ヶ原の合戦 島津義弘(西軍) 陣跡   

先週のYahooニュースで、女優の杏さんが、好きだと言っていた島津義弘の陣跡。ソースはこちら

2015/01/25 島津義弘 陣跡
2015/01/25

さて、そんなモテモテの島津義弘(しまづ よしひろ)の陣跡は、関ヶ原中心部から北西方面、神明神社の裏にあります。
女優の杏さんだけじゃなく、歴史愛好家には、かなり人気のある武将ですねぇ。

2015/01/25 島津義弘 陣跡島津と言えば「薩摩」。でも、義弘は薩摩の当主でなく、兄で当主の島津義久の重臣的な存在でした(義久より家督を継いで当主になった説もあり)。
関ヶ原の合戦においては、当初は東軍側に身をおき、徳川家康が会津征伐の為、上方から関東に下った時に、家康より上方での居城であった伏見城の警護を頼まれて出向きました。しかし、城の留守を守っていた徳川家臣の鳥居元忠にその事が伝わっておらず、門前払いにあってしまい、本意とは逆の西軍に就く事になりました。その後、石田三成が挙兵し、前哨戦の伏見城の戦いにて伏見城攻めに参加してます。
2015/01/25 島津義弘 陣跡義弘は島津家の当主ではない上に、当主の義久との関係がそれほど良好でなかった等の理由で、多くの兵を引き連れていた訳でなく、せいぜい1000人~1500人と言われています。その事が、三成に軽んじられて、美濃墨俣川での撤退において前線に展開していた島津隊が見捨てられたり、大垣城から家康のいる岡山(勝山)に夜襲の提案もするが却下されるなど、義弘の士気は下がりまくってました。そして合戦の当日、義弘は参戦はしたものの、前述の事や元々東軍に就きたかったのに、成り行き上仕方なく西軍に就いてしまった事もあり、殆ど兵を動かさず自陣に攻めてくる東軍の兵のみを追い払うかのような戦いをしていました。
2015/01/25 島津義弘 陣跡ココまでの話だと、何故義弘が人気があるのか分からないよね、義弘の真骨頂はここから。
時は過ぎ、小早川秀秋の寝返りで東軍の勝ちが決まった頃。西軍の武将達は既にバラバラに逃走してしまい、合戦の地に残ったのは兵が300人に減っていた義弘軍だけになっていました。この状況で義弘は切腹を考えましたが、甥の島津豊久に説得され翻意し、ココでは死なず、生きて薩摩に帰り、家康に申し開きをする事を決意しました。その為には、四方を東軍に囲まれた島津軍はそれを突破して逃走をしないといけないんですが、ここで義弘は兵が薄い場所を突破するのではなく、あえて一番兵の厚い家康がいる本陣に向かって中央突破を敢行しました。この常軌を逸した島津軍の勢いは凄まじいもので、家康本陣の前衛にいた、東軍きっての猛者である福島正則の軍を蹴散らし、家康本陣直前で、方向を伊勢の方面に向け伊勢街道を南にひた走りました。東軍は、福島正則、伊井直政、松平忠吉、本田忠勝の軍が追いかけましたが、義弘は捨て奸(すてかまり)と言われる、逃げる途中途中で少しずつ兵を残こし、残った兵は追手と死ぬまで戦って時間を稼ぐという捨身の戦法を繰り返し、なんとか逃げ切ることができました。この撤退戦で東軍は伊井直政と松平忠吉は重症を負い、義弘軍も島津豊久が討ち死し、義弘が逃げ切った頃には島津軍は80人になっていました。これが世に言う「島津の退き口(のきぐち)」という退却戦で、島津義弘の名を全国に轟かせることになりました。
義弘は、伊賀、奈良、大坂を経由し、そこから船で薩摩に帰り、東軍の攻撃に備える為に軍備を固めるとともに、「島津の退き口」で重症を追わせた伊井直政を仲介役とし家康に申し開きをしました。直政も重症を負わせられたにも関わらず、誠心誠意に講和の為に奔走し、そのかいあって(他にも理由はあるんだけど)義弘はお咎め無し、島津家も所領安堵となりました。その後、義弘は一歩も薩摩の国を出ることなく、1619年に83歳で天寿を全うしました。


2015/01/25 島津義弘 陣跡2015/01/25 島津義弘 陣跡陣跡には定番の看板、碑の他に「関ヶ原戦跡踏破隊」の名碑があります。内容は割愛、看板読んで。



2015/01/25 島津義弘 陣跡 薩摩池2015/01/25 島津義弘 陣跡 薩摩池陣跡より直線で200m程北西に「薩摩池」というとても小さな池があります。そこにある看板を読むと、どうやら現在陣跡となっている所は、島津豊久と重臣の山田有栄が陣を構えていた所で、義弘はこの池の近くで陣を構えていて、池の水を軍用で使用していたようです。


まぁ、敵軍中央突破の退却劇なんて正気の沙汰とは思えないけど、これが戦国時代ってやつですよ、うんうん。

関ヶ原合戦史跡地図

Youtubeにあった、島津の退き口の説明動画っていうか、NHK「その時歴史が動いた」の切り抜きやね。



大谷吉継しかり、島津義弘しかり、好きな武将だと自然と記事の文字数が多くなります。(笑)



もうひとつの「島津の退き口」・・・・・・・・・



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術
タグ:関ヶ原の合戦 島津義弘 ガールズ&パンツァー
  1.   2015/02/04(水) 19:36:17|
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